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東京の中の異国

お昼過ぎに、御茶ノ水で用事が済んだ。
春を思わせる暖かな陽気で、街行く人ものんびりとした表情をしている。
まっすぐ帰るのももったいないので、ニコライ堂を訪ねてみることにした。



ニコライ堂を探すのは、いたって簡単だった。御茶ノ水駅の近くで、四方をきょろきょろと眺めると、すぐドームをいただいた異国情緒に満ちたビザンチン様式の建物が目に入り、行く手を導いてくれた。
近づくにつれて、思った以上に敷地が広いことがわかった。
聖職者の教育や修行、執務用と思われる付属の建物が多いのは、この教会の格式の高さを物語っているのではないだろうか。

「東京復活大聖堂」と書かれた門扉は大きく開かれ、右手にはこの季節なのにメキシカンブッシュセイジの大株が、紫のビロード製のような花を元気に咲かせている。
大聖堂への階段の両側には、コンテナに植えたオリーブの樹が飾られ、外国人参拝者が数人、聖堂の中へ吸い込まれていく。
増築をしたような右のウイングでは、何か儀式を執り行っていた。
裾が土に付くほどの黒い僧衣に、トップの部分が四角い帽子をかぶった修道士が2人、深々と頭を下げてお祈りをし、グレゴリアン・チャントに似た詠唱を唱えている。これがロシア正教の賛美歌なのだろうか。青いスカーフを首に巻いた女性の信者も同じ動作を繰り返し、祈っていた。



思い出したことがある。エルサレムの聖墳墓教会に参った時のことだ。
ここはキリストが十字架を背負って登り、処刑されたゴルゴダの丘に建てられた教会で、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)の終点となっている。
スパイシーなお香が立ちこめ、お祈りの声が響く教会内部は、キリスト教の数多くの教団が分割管理しており、お互いに時間をずらして儀式を行っていた。その中でも有力な教団は正教会で、このような僧衣をまとった聖職者たちが、僧衣の裾を翻し、列をなしてお祈りを唱えていた。

東京復活大聖堂に一歩足を踏み入れると、今まで経験したことのない空間だった。ドームの丸天井のせいだろうか、自分がちっぽけに感じられる。

説明文によると、この宗教の名称は東方正教会ともよばれる正教会で、
ローマンカトリックやプロテスタントがヨーロッパを中心に広がったのに対し、正教会はキリストの生まれた中近東を中心にギリシャ、東欧からロシアに広がったキリスト教である。日本へは19世紀後半にロシアの聖ニコライが伝えた。彼は最初函館で日本語や文化を学び、日本に即した聖書の翻訳を行った。
明治5年ごろ、聖ニコライは伝道の本拠地を東京に移し、神田駿河台にビザンチン様式の「復活大聖堂」を建立。神学校を作り聖職者を養成し、聖歌隊もできた。また、」イコン(聖画)を学ぶために山下りんがロシアへ留学するなど、正教会が果たした役割は黎明期だけでもまだまだある。

書ききれないので、詳しいことを知りたい方は、http://orthdoxjapan.jp を読んでいただきたい。

前々からロシア正教のことを知りたかったので、本当によい勉強になった。
一つ残念だったのは、ニコライ堂の鐘の音を聴けなかったことだ。
今度は調べてから出かけるようにしよう。

旅と呼べるかどうかのこんな小さな旅でも、収穫は大きい。


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