花のいろはうつりにけりな・・・・・

この花に見覚えがおありだろうか。
「師走の庭のピンクの花々」というタイトルで、
アップしたのが昨年の12月22日。
あれから、穏やかで暖かな日が続いたので、
大晦日までは庭のテーブルに飾ったままだった。
今年最後の掃除の時に処分するつもりでいたが、
健気にもこれから咲こうとしている花に気づいた。
マルバには蕾がまだまだあるだけでなく、
咲き終わってしおれた花弁は、
青みを帯びて何ともいえないあえかな風情がある。
バラの花も咲きかけたまま、あるいは咲き終えた色も形もそのままに、
じっと息を潜めているかのようだ。
捨てるのはしのびないので、
部屋の奥にある暖炉の上に飾りなおした。
花瓶に活けてから、早くも3週間を超えている。

はさみをいれた時点で、花の命は儚くなった。
ゆっくりと移ろっていく花を見守っていると、
それはけっして醜くも無く、惨めでもない。
自然のままのあるべき姿だ。
人の容貌も能力も、年とともに衰えてくる。
これも自然の営み、ごく当たり前のことということが理解できる。
・・・といえば悟り澄ました立派な人だが、
私のような俗人は、何としてでも老いと病いは避けたいほうだ。
平安時代の才媛、小野小町は、
はなのいろはうつりにけりないたずらに
わがみよにふるながめせしまに、と詠んだ。
花の色の移ろいにかけて、
年齢を重ねることと容色の衰えを、深く嘆いている。
各地に今なお小町伝説が残るほどの美人には、
さぞかし普通の人の何倍も辛いことだったろう。
負け惜しみではないが、あぁ、普通の人でよかった。