帰りなん、いざ、ふるさとへ

朝の5時半、迎えに来た三男夫婦の車に同乗して家を出発したのは、8月15日のことだった。
目指すは福島市の円通寺だ。
ここは私の生家で、12代目の弟が住職としてあとを継いでいる。
お盆の最中だから道路の混雑や渋滞を予想して、早目に家を出たのだが、
平日よりも道路状態はよく、面白いようにすいすいと車は進む。
今回の帰省は単なるお盆の里帰りとは、ちょっと違う意味合いがあった。
今年は母の13回忌に当たる。
ご法事などには大人が出席するのが普通だが、
弟の発案で、私達5人姉弟の家族が全員集合し、泊りがけで親睦を深めようという趣向なのだ。
私が小さかった頃、親戚はそれほど遠くない場所に住んでいた。、
母や祖母の実家、新宅、叔父や叔母の家などへ
初物( あぁ、何と懐かしい言葉だろう。
今は一年中何でも手に入るので、旬が失われていることに改めて、気づいた)や、
おすそ分けなどを届けに行くのは、子供たちの仕事だった。
期待通り、お駄賃にもらった飴玉の甘かったこと・・・・。あの味は、今でもよく覚えている。
こうして親戚の従兄弟たちと仲良くなるにつれ、誰に聞かなくとも家族構成などがしだいにわかってくる。
土曜日は叔母の家で夕ご飯をごちそうになり、従姉の布団にもぐりこんだ「お泊まり」もなつかしい。
今、親戚が一堂に会するのはお葬式か結婚式だ。
いずれも出席者は大人だけで、特別の事情がない限り、子供が列席することはまずない。
大人の場合でも、悲しみの場所だけに控室で声を落としたひそひそ話・・・。
セレモニーが済むとそそくさと帰途に就く人が多いので、
「あの人はだあれ」ということもあると聞いている。

さぁ、着いた。
ここが18歳まで過ごした円通寺だ。
本堂の左手に紅いものが見えるのは、2体のお地蔵さま。
色も鮮やかなのは、3月の大地震で台座から落ちて倒れてしまったため、
修理をしている間に、檀家の方が新しい頭巾を作ってくれたのだとか。

継ぎ目も痛々しい御地蔵さまを慰める、かわいい御供え物。
母が創設し、弟夫婦が後を継いだルンビニー幼稚園は、たしか60年を越している。
背伸びしてホウズキと栗のイガをお供えしたのは,
「のの様]こと、仏さまへ手を合わせに来た園児かもしれない。
続く