MONMO
MONMOが旬の季節になった。
「もんも」と声に出してみると、なぜか涙がにじんできた。
私の生まれた福島市では、モモをモンモという。
標準語になってしまった今の若い人たちに、通じるかどうかわからないが、
少なくても末の弟妹が生まれた、いわゆる団塊の世代(昭和22年)まではモンモだった。
赤ちゃんのほっぺのようなまるい果実に触れると、チクチクとした産毛でかゆくなり、
何度も何度も手を洗ったたことが懐かしい。
今でもモモを見ると頭の中の自動翻訳機が作動して、
頼みもしないのに変換し「モンモ」が口から出てくるから不思議だ。
私の生まれた福島はくだもの王国で、モモ、ナシ、リンゴにブドウ、カキなど、
カンキツ類を除いた果物の生産地だ。
特にモモは全国第2位を誇る生産量で、味も香りも抜きん出ている。
祖母の生家が伊達市で果樹園を経営していたので、
夏休みになると必ず「お手伝い」と称して、1週間か10日ぐらい泊っては手伝ったことがなつかしい。
仕事はいくらでもあった。
作業所の大きい倉は涼しくて、ここでは収穫してきたモモの袋をはがし、選別、箱詰めなどをした。
あの頃の箱は木製で、木を細く切ったモクゲをショック吸収材に使っていた。
いい風が抜ける軒下は、木箱に品種の名前入れをする場所だ。
木肌に文字や絵柄の部分を切り抜いた金属板をのせて、上から墨を含ませたバレンを往復させる。
今流行りのステンシルと手法は全く同じだ。
失敗したらカンナをかけなければなら内ので、緊張したものだった。
モモと言えば、ほとんどの方が柔らかい果肉に、
果汁が滴り落ちるジューシー・タイプを好む。
そして、指でつるりと皮がむけるのも必須条件だ。
つづく
「もんも」と声に出してみると、なぜか涙がにじんできた。
私の生まれた福島市では、モモをモンモという。
標準語になってしまった今の若い人たちに、通じるかどうかわからないが、
少なくても末の弟妹が生まれた、いわゆる団塊の世代(昭和22年)まではモンモだった。
赤ちゃんのほっぺのようなまるい果実に触れると、チクチクとした産毛でかゆくなり、
何度も何度も手を洗ったたことが懐かしい。
今でもモモを見ると頭の中の自動翻訳機が作動して、
頼みもしないのに変換し「モンモ」が口から出てくるから不思議だ。
私の生まれた福島はくだもの王国で、モモ、ナシ、リンゴにブドウ、カキなど、
カンキツ類を除いた果物の生産地だ。
特にモモは全国第2位を誇る生産量で、味も香りも抜きん出ている。
祖母の生家が伊達市で果樹園を経営していたので、
夏休みになると必ず「お手伝い」と称して、1週間か10日ぐらい泊っては手伝ったことがなつかしい。
仕事はいくらでもあった。
作業所の大きい倉は涼しくて、ここでは収穫してきたモモの袋をはがし、選別、箱詰めなどをした。
あの頃の箱は木製で、木を細く切ったモクゲをショック吸収材に使っていた。
いい風が抜ける軒下は、木箱に品種の名前入れをする場所だ。
木肌に文字や絵柄の部分を切り抜いた金属板をのせて、上から墨を含ませたバレンを往復させる。
今流行りのステンシルと手法は全く同じだ。
失敗したらカンナをかけなければなら内ので、緊張したものだった。
モモと言えば、ほとんどの方が柔らかい果肉に、
果汁が滴り落ちるジューシー・タイプを好む。
そして、指でつるりと皮がむけるのも必須条件だ。
つづく