江戸時代の薬草園
クズの花といえば、
古い薬草園と「本葛の里」を、奈良県の大宇陀町に訪ねたことがある。

月日のたつのは早いもの。数えてみたらおよそ30年も前の話だ。
あの頃、私は江戸時代の本草学について興味を持っていた。
本草とは薬草のことで、すなわちハーブに該当するからだ。
話は遡るが、幕府が江戸城内に最初の薬草園を開いたのは、寛永15年(1638年)のことである。
八代将軍・松平吉宗が、国産奨励の一環として、
漢方薬の栽培と普及、国産の生薬作りを奨励したため、各地に薬草園が作られていった。
このプロジェクトにかかわる役人たちも全国へ視察に出掛け、
さまざまな職方で優秀な人材を探し出しては登用し、
実力のある本草家もとりたてられている。
その頃。奈良県の大宇陀に、自ら薬草を栽培し、研究をしている森野藤助という本草家がいた。
彼は幕府の御薬草御用掛りが採集に来た時、御薬草見習いとして出仕し、
大和地方ばかりでなく、関西や北陸地方まで採集旅行の案内と指導を、立派に成し遂げた。
経験に基づいた博識なことや、真摯な人間性などが抜きん出ていたのだろう。
幕府はその労をねぎらい、こうした例は稀有のことだが、
門外不出の珍しい薬草の種子や苗を彼に下賜した。
藤助は自分が集めていた薬草に加えて、この大切な賜り物を裏山に植え、森野薬草園とした。
その後、数多くあった薬草園も時代の波の中に消え、
江戸期の薬草園で現存しているのは、
この大宇陀と小石川の植物園(現在の東京大学理学部付属植物園)の2か所のみとなった。

青葉が目にしみる季節に、私は森野吉野薬草園を訪ねた。
どのルートで行ったかは記憶にないが、
「桜井」という駅を通過したときに、「青葉茂れる桜井の・・・」と口ずさんだ事と、
レンゲソウやクローバーが咲く田舎道を歩いて行った事を覚えている。
この辺りはクズの生産地として知られている。
中でも400年も続いている老舗・森野吉野葛本舗の裏山一帯が薬草園となっていて、
見学させていただくことができた。
小高い丘のような斜面に付けた小道を登りながら、
自然な感じに植えられた薬草に目をやるという趣向だったが、リニューアルをしたという話も聞いた。
今はどのようになっているのだろうか。
歴史がある庭は、小さな植物よりも年月を経た大木が印象的だった。
初めて見たハナノキやオウバクなどに興奮し、
カミツレやラッシャンヒレハリなどのように、知っているハーブが和名で書いてあるとほっとした。、
こうした個人の庭を400年の長きにわたって管理するのは、容易なことではない。
御当主の努力に頭が下がる。
さて、前置きが長くなったが、いよいよ本葛の話だ。
体調が悪い時や風邪をひいたときなどに、クズ湯を飲んだ経験があると思う。
これはよほどこだわりのある家庭でない限り、クズでなくカタクリ粉で作る。
それでは可憐な花が咲く、あのカタクリで作った粉を使うのか。答えはノー。
正解は何とジャガイモから採る、澱粉でありました。
この例は特別に秘密でもなく、誰でも知っているというのもおかしな話なのだが…。
だからクズの根から作るものに、本物の意味の本を冠して本葛とよぶのだろう。
30年前の見学で、何を覚えていたかといえば、
クズの根があまりにも大きくて、びっくりしたことと、
砕いた根を屋外の巨大なプールに入れて沈澱させ、あくを抜く工程が印象的だった。
なるほど、あの大宇陀の里には、
白くさらすための清らかな水と、根が喜ぶ肥沃な土があったからこそ、
400年後の今まで本葛を伝えてこられたのだろう。
上等なクズは、高級な日本料理や和菓子によく使われている。
京都の鍵善の葛切りは、彼岸過ぎでもまだオーダーできるかな?
あぁ、冷たい葛切りを黒蜜で食べたい!!!
古い薬草園と「本葛の里」を、奈良県の大宇陀町に訪ねたことがある。

月日のたつのは早いもの。数えてみたらおよそ30年も前の話だ。
あの頃、私は江戸時代の本草学について興味を持っていた。
本草とは薬草のことで、すなわちハーブに該当するからだ。
話は遡るが、幕府が江戸城内に最初の薬草園を開いたのは、寛永15年(1638年)のことである。
八代将軍・松平吉宗が、国産奨励の一環として、
漢方薬の栽培と普及、国産の生薬作りを奨励したため、各地に薬草園が作られていった。
このプロジェクトにかかわる役人たちも全国へ視察に出掛け、
さまざまな職方で優秀な人材を探し出しては登用し、
実力のある本草家もとりたてられている。
その頃。奈良県の大宇陀に、自ら薬草を栽培し、研究をしている森野藤助という本草家がいた。
彼は幕府の御薬草御用掛りが採集に来た時、御薬草見習いとして出仕し、
大和地方ばかりでなく、関西や北陸地方まで採集旅行の案内と指導を、立派に成し遂げた。
経験に基づいた博識なことや、真摯な人間性などが抜きん出ていたのだろう。
幕府はその労をねぎらい、こうした例は稀有のことだが、
門外不出の珍しい薬草の種子や苗を彼に下賜した。
藤助は自分が集めていた薬草に加えて、この大切な賜り物を裏山に植え、森野薬草園とした。
その後、数多くあった薬草園も時代の波の中に消え、
江戸期の薬草園で現存しているのは、
この大宇陀と小石川の植物園(現在の東京大学理学部付属植物園)の2か所のみとなった。

青葉が目にしみる季節に、私は森野吉野薬草園を訪ねた。
どのルートで行ったかは記憶にないが、
「桜井」という駅を通過したときに、「青葉茂れる桜井の・・・」と口ずさんだ事と、
レンゲソウやクローバーが咲く田舎道を歩いて行った事を覚えている。
この辺りはクズの生産地として知られている。
中でも400年も続いている老舗・森野吉野葛本舗の裏山一帯が薬草園となっていて、
見学させていただくことができた。
小高い丘のような斜面に付けた小道を登りながら、
自然な感じに植えられた薬草に目をやるという趣向だったが、リニューアルをしたという話も聞いた。
今はどのようになっているのだろうか。
歴史がある庭は、小さな植物よりも年月を経た大木が印象的だった。
初めて見たハナノキやオウバクなどに興奮し、
カミツレやラッシャンヒレハリなどのように、知っているハーブが和名で書いてあるとほっとした。、
こうした個人の庭を400年の長きにわたって管理するのは、容易なことではない。
御当主の努力に頭が下がる。
さて、前置きが長くなったが、いよいよ本葛の話だ。
体調が悪い時や風邪をひいたときなどに、クズ湯を飲んだ経験があると思う。
これはよほどこだわりのある家庭でない限り、クズでなくカタクリ粉で作る。
それでは可憐な花が咲く、あのカタクリで作った粉を使うのか。答えはノー。
正解は何とジャガイモから採る、澱粉でありました。
この例は特別に秘密でもなく、誰でも知っているというのもおかしな話なのだが…。
だからクズの根から作るものに、本物の意味の本を冠して本葛とよぶのだろう。
30年前の見学で、何を覚えていたかといえば、
クズの根があまりにも大きくて、びっくりしたことと、
砕いた根を屋外の巨大なプールに入れて沈澱させ、あくを抜く工程が印象的だった。
なるほど、あの大宇陀の里には、
白くさらすための清らかな水と、根が喜ぶ肥沃な土があったからこそ、
400年後の今まで本葛を伝えてこられたのだろう。
上等なクズは、高級な日本料理や和菓子によく使われている。
京都の鍵善の葛切りは、彼岸過ぎでもまだオーダーできるかな?
あぁ、冷たい葛切りを黒蜜で食べたい!!!