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日本にもあった幻の「サンマータイム」

妹たちは、チャイムの音とともに、10時きっかりにやってきた。
それから夕方までの間、思い出話に満開の花が咲いた。

女3人が集まると、「姦しい」という。
こちらは4人が4人とも、超話好きで、早口。人の話が終わるのが待ち切れずに、話し始めてしまうこともある。そばにいたら、さぞかし騒々しかったにちがいない。
みんなバイリンガルといおうか、すらすらと口から出てくるふるさとの言葉で話し始めると、
幼い日に一緒に経験した日常生活が、つい昨日のように蘇ってくる。

子ども時代のなつかしい遊びや、共通の先生に友人、めったにない事件、楽しみだった夏と秋のお祭り、近所の奇人変人のうわさ話、ラジオで覚えたジャズミュージックなどなど・・・・・、
話は尽きることなく時間がいくらあっても足りない。

面白いことがあった。
「小学生の頃はサンマータイムといって、土曜、日曜は学校が休みだったのよね。
その代わり、土曜日記を書くのが宿題だったけど、私はいつもさぼっていたから大変よ。
月曜日の朝に大急ぎで書いったっけ・・・・」、
私の言葉にうなづいたのは、18年生まれのすぐ下の妹だけで、20年と22年生まれの妹たちは、
まるで知らないという。

のちにガーシュイン作曲の「SUMMER TIME」を知ったが、
その頃の私は意味も知らずに〈サンマータイ」ム〉と耳で聞いた通りに覚えていた。
たしか 休みでない日を、ウイーケンド (WEEK END)といったことも思い出した。

この話をすると、たいていの人は「ウッソー、知らないわ。聞いたこともないし、それって本当に?」
と、驚くのだ。
あの夏時間制度は、福島県だけの条例のようなものだったのだろうか。
今回も、4人のうち2対2に分かれたことが気になって、調べてみると・・・・。

やはり、サマータイム制は存在していた。
終戦直後のアメリカの占領下、1948年から1952年までの4年間、GHQによる「夏時間法」のもとで時計の針が1時間進められていたのだった。
これは日照時間が長い夏の間に、石炭や電力などのエネルギーの節約が大きな目的で、
早起きをして早く就業し、早く帰宅すれば、家族との温かい団欒が楽しめ、ゆとりのある暮らしができるというねらいもあった。しかし、外国の事情とは地理的にも社会的にも異なる日本では不評で、4年で中止になってしまった。

1941年生まれの私は、ちょうど小学1年生の頃からサンマータイムを経験していたことになる。
だとすれば私と同い年の人は、皆覚えているはずなのに、ほとんど誰も知らないのは、どうしてなのだろう。

ところで、あなたは覚えていますか。





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