カラフルな鉄瓶とミネラルA

「お客様、お待たせしました。
当店には、ガラスの瓶はありますが、
鉄の瓶は扱っておりません」
これは、某有名家庭用品の店で、鉄瓶の売り場をたずねた時の店長の返事だ。
笑い話ではなiい。
最初に対応した20代の店員も、40代ぐらいの店長も鉄瓶を知らなかった・
それほど鉄瓶は遠いものになってしまったのだろうか。
先日のテレビで、高齢者に貧血症が増えている、と報じていた。
鉄分が足りないために起こる栄養障害のため、
対策としては料理から鉄分を摂るほかに、日頃から鉄瓶を使うとよい、と
解説者が勧めている。
幼かった頃、家には大きな南部鉄の鉄瓶があった。
お茶を飲むたびにこれでお湯を沸かすので、真っ黒に煤ける。
しかし、灰をつけたたわしでこすると汚れが落ち、
ぷっくりと張った胴体に松と鶴の模様が現れる。
私はこの瞬間が好きだった。
何度かすすいだ後に乾いた布巾で拭うと、
鈍い光沢が出てくる・・・
これも懐かしい記憶である。
数日後、お茶を扱っているブテイック店で、カラフルな鉄瓶を見つけた。
南部鉄なのだが、輸出先のフランスで日本人バイヤーの目に止まり、
里帰りをしたのだという。
見かけは何ともしゃれているのだが、
肝心の鉄分が滲み出てくるはずの内側は、しっかりとコ~テイングされている。
これでは役に立ちはしない。
しかし、夫は妙に気に入ってしまい、来客用にと4色そろえて買ってしまった。
けっして安くはない値段だし、鉄分補給はどうなるの?
と私はぐちをこぼしていたが、こうして並べてみるとじつに可愛い。
あれからというもの、
お客様に「マイ鉄瓶}とお茶を選んでもらい、自分好みのお茶を淹れるようにしたら、
雰囲気がさらに和やかになり、いつまでも笑い声が絶えない。
そして今、鉄分はやはり食べ物から摂ることにして、
カラフルな鉄瓶からは来客のたびに、素晴らしいミネラルA (Atomosfear = 雰囲気)
を全員でたっぷりと摂取している。
トラヴェラーズ ジョイ ( Travellers Joy)

庭で一番高い樹のネグンドカエデの枝に絡みついて、
トラベラーズ・ジョイ(Traveller's joy) の花が咲いている。
日本のセンニンソウによく似たクレマチスの原種で、
イギリスでは「旅人の喜び」とよばれるつる性のワイルドフラワーだ。
田舎道の藪や林の入口などに、ブッシュ状になって絡みつき、
ロンドン市内でも塀の上などからよく顔をのぞかせている。

イギリスでは盛夏に、日本では夏の終わりを告げるこの純白のつる草に、
なぜこのような名前がついたのだろうか。
一説によると、16世紀の偉大な植物学者ジョン・ジェラードが命名したとあるが、
私は蔵書の中の挿絵に、そのヒントを見つけた。
英国に生まれた Cicely Mary Barker ( シスリー・メアリー・バーカー)は、
妖精の画家として知られている。
彼女の絵に登場する主人公は、草花の衣装を身に付けたあどけない表情の妖精だ。
それぞれの花の特徴を、見事にコスチュームに取り入れるアイデアは、
キューガーデンへ通い、植物の観察とスケッチを続けたことから生まれたという。
プレ・ラファエルを思わせるロマンと気品に満ちた作風は、人々を魅了し、
数多くの絵本や詩画集が出版されている。

銀座の「イエナ書房」は洋書の専門店だ。
私にとってここはまさに宝の山で、暇を見つけてはよく立ち寄ったものだった。
欲しい本は山ほどあっても、
短大を卒業後講談社に入社し、20歳で独立。
親からの仕送りを断った暮らしでは、
本を買うゆとりなどはなかった。
この写真のフェアリーシリーズは、
そんな独身時代に、1冊ずつ買い足していった思い出の詩画集だ。
7冊セットなのに2冊足りないのは、友人からまだ戻ってないのかも・・・・。
ついつい、昔話になってしまったが、
肝腎のトラベラーズ・ジョイのページをご覧あれ。

右のページでは少女の妖精が、
トラベラーズ・ジョイの花弁と蕊をチュニックに見立てた衣装で、
海に向かって手招きをしている。
左のページには、
大きな船で航海から帰る若い船乗りさん、
雨や強い日差しからあなたを守るあずまやを作ったわ、
日陰ができるように白い花綱で飾ったのよ。
ゆっくりとお休みになってね
韻を踏んで、このような大意の詩がつづられている。
「旅人の喜び」とは、旅の疲れrを癒してくれる日陰のことだった。
疲労困憊で、痛む足を引きづりながら一休みができる場所を探していると、
遠目からでもわかる白い花の群がりを見つけた時の嬉しさ・・・・。
花影に吹く涼しい風も伝わってくるようだ。
イギリスやアイルランド、スコットランドなどの小さなホテルやB&Bに、
Traveller’s Joyの名前を見かけるのは、
旅人にアットホームなやさしさをサービスするという意味なのだろう。

遥かなイギリスに思いを馳せながら、
「旅人の喜び」を花ざかりのユーパトリウムと活けてみた。
夜の可愛い訪問客
晩御飯の最中に、ふっと時間が止まったような気がした。
テーブルで向き合っていた夫の目線が、窓に釘付けになっている。
その先にあったものは、
一瞬、白い切り紙細工かと思った。

よくよく眼を凝らして見ると、
小さなイモリがガラス窓に張りついていた。
プラスチック製のおもちゃのようにも見えるが、
小さな指先の吸盤がしっかと踏ん張っていて、とても可愛い。
私は巳年なのに蛇は大の苦手だ。
しかし、イモリには余裕があるのは、飼い猫の「御土産」として、
よくプレゼント(?)をされているからだろう。

ヤモリは夕方になると物置や玄関などで見かけるが、
ガラス戸越しで、今までこうしてじっくりと観察をしたことはなかったので、興味深い。
調べてみると、これはニホンヤモリで、爬虫類に属しするトカゲの1種だそうだ。
小さな害虫を餌にして、人々の暮らしを守るので、
漢字では「家守」や「守宮」と表記する。
実際、電灯の光に集まってきた小さな虫をすっすっと食する生態を、
ガラスのこちら側から見られたのは、何ともラッキーで面白かった。
ヤモリは卵生で夏に2個づつ卵を産むが、
同じ爬虫類のトカゲを孵化させた時を思い出した。
(2014年10月1日のページを参照)
ニホンヤモリはユーラシア大陸から渡来したもので、
日本固定種ではないという。
日本に定着したのは平安時代以降だそうだ。
そういえば、ネパールのホテルで見た飴色のヤモリは、
天井に張り付いて一晩中鳴いていた。
イスラエルの林で見た緑色のカメレオンのような動物は、
トカゲだったのだろうか。
尻尾の長い動物との思い出は、ほかにもありそうだ。
テーブルで向き合っていた夫の目線が、窓に釘付けになっている。
その先にあったものは、
一瞬、白い切り紙細工かと思った。

よくよく眼を凝らして見ると、
小さなイモリがガラス窓に張りついていた。
プラスチック製のおもちゃのようにも見えるが、
小さな指先の吸盤がしっかと踏ん張っていて、とても可愛い。
私は巳年なのに蛇は大の苦手だ。
しかし、イモリには余裕があるのは、飼い猫の「御土産」として、
よくプレゼント(?)をされているからだろう。

ヤモリは夕方になると物置や玄関などで見かけるが、
ガラス戸越しで、今までこうしてじっくりと観察をしたことはなかったので、興味深い。
調べてみると、これはニホンヤモリで、爬虫類に属しするトカゲの1種だそうだ。
小さな害虫を餌にして、人々の暮らしを守るので、
漢字では「家守」や「守宮」と表記する。
実際、電灯の光に集まってきた小さな虫をすっすっと食する生態を、
ガラスのこちら側から見られたのは、何ともラッキーで面白かった。
ヤモリは卵生で夏に2個づつ卵を産むが、
同じ爬虫類のトカゲを孵化させた時を思い出した。
(2014年10月1日のページを参照)
ニホンヤモリはユーラシア大陸から渡来したもので、
日本固定種ではないという。
日本に定着したのは平安時代以降だそうだ。
そういえば、ネパールのホテルで見た飴色のヤモリは、
天井に張り付いて一晩中鳴いていた。
イスラエルの林で見た緑色のカメレオンのような動物は、
トカゲだったのだろうか。
尻尾の長い動物との思い出は、ほかにもありそうだ。
葡萄はいったい誰のもの?
我が家には樹齢20年を超えた葡萄の老木がある。
けれども、ぶどう畑や葡萄棚があるわけではない。

前々からいつか庭ができたら果樹を植えたオーチャードコーナーが欲しい、と思っていた。
葡萄は植えたい品目のリスト上位に入っていたが、
棚を作るとなると、これだけで庭のかなりの面積を占めてしまう。
ほとんど諦めているうちに、意外な植え場所があることに気がついた。
それは、擁壁、すなわち家が建っている土台の石垣だ。
高さ3m×長さ20数メートルはあるだろうか。
幸いにも、擁壁に隣接する車庫の間に、
大きめの座布団ほどのスペースがあるので、苗の植え場所は確保できる。
肝心の枝の誘引だが、イギリスの園芸誌で紹介していたように、
船舶用の丈夫なワイヤーを張れば、葡萄模様の緑のタピストリーも夢ではない。
その上嬉しいことに、
葡萄栽培は、一般的には乾燥気味の水はけのよい土地が適しているが、
このような石垣は熱しやすいため、
葉の育つ範囲が乾燥して栽培環境を良くするのだそうだ。
というわけで、「甲斐路}という紅色で大粒の品種を植えたところ、ぐんぐんと育ち、
ウイリアム・モリスのあの図案を思わせる、緑の壁面となった。

今年は当たり年のようだ。
初夏に、淡黄色のビ-ズを集めたような花が咲き、
日を追うごとに緑の粒々が大きくなっていく。
梅雨の間は、葉蔭から可愛い緑のネックレースが顔をのぞかせていたが、
8月の声を聞くと一粒一粒が張りを増し、表皮が透明感を帯びてきた。
これから成熟期にかけて淡い紅色が差し、甘みが出てくるサインだ。
その数は、ざっと数えただけでも100房は以上はありそう・・・・。
房といえば、我が家の葡萄は房が長いものが多い。
ブドウ作りのポイントは、、
早期に摘蕾、摘果をして、バランスよく実をつけることだそうだが、
よほどの貧乏性なのだろう、
私はせっかく咲いた花を摘み取ってしまうのがもったいなくて、摘果ができない。
そのためべローンと長い房になるのだ。

時々思い出し笑いをすることがある。
鳥や害虫から保護するために、袋を掛けることにした。
何でも揃う AMAZON に一番大きなサイズの袋を注文したが、
房が長すぎて入りきらない。
それなら手作りで、ということになった。
「どうせ作るのなら、おしゃれな袋にしたい」と、わざわざ駅まで英字新聞を買いに行き、
葡萄の大きさに合わせて作った袋は、
大きな頭陀袋と言おうか、ごみ袋と言おうか、おしゃれとはほど遠いものだった。
それでもめげずにいそいそと取り付けたのに、3日後の激しい嵐で、
紙袋は吹き飛ばされるやら、水が溜まったり、紙が溶けてしまったりで、ショック!!!

あれ以来袋を掛けないできたが、
むき出しのままでは、道行く人の好奇心と食欲を刺激するらしい。
次第に、道を歩きながらつまみ食いをする常連を見ることが多くなった。
その気持ちはよくわかる。
私だって道端の手の届くところに甘い果実があったら、おそらく同じことをするだろう。
だから、無作法をとがめるのではなく、
楽しみをシェアするという寛大な気持ちになって、大目に見ようと、決心したが、
そうとは言えないことがおっこった。
ここのところカラスの親子が堂々と試食会(?)に参加しては、
食べ放題気分でムシャムシャと食べ散らかしているのだ。
これには、正直のところカチンときた。
自慢の長い房のブドウも狙われたら最後、ご覧のとおりだ。

きらきら光るCDや、プラスチック製の見せしめ用の死骸を、
いくつもぶら下げれば効果的だとか、
バードキラーという磁気を利用した高額な器具を使えばバッチリだ、などと、
知恵を授けてくれる友人がいる。
しかし、父ガラスが見張りをする中で、親よりも大きく育った子ガラスが、
甘えながら母ガラスから口移しに葡萄を食べさせてもらっているシーンを眺めていると、
意地悪をしては申し訳ないという気持ちになってくる。
カラスのファミリーは、この葡萄が広田さんのものだということを知らないのだから仕方がない。
きっと全部自分のためにあるのだと思っているのだろう。
もうすぐ色づいて食べごろになるまで、どのくらい残っているやら・・・・・。
せめて、葡萄が見つからないように葉っぱで隠しておこう。

けれども、ぶどう畑や葡萄棚があるわけではない。

前々からいつか庭ができたら果樹を植えたオーチャードコーナーが欲しい、と思っていた。
葡萄は植えたい品目のリスト上位に入っていたが、
棚を作るとなると、これだけで庭のかなりの面積を占めてしまう。
ほとんど諦めているうちに、意外な植え場所があることに気がついた。
それは、擁壁、すなわち家が建っている土台の石垣だ。
高さ3m×長さ20数メートルはあるだろうか。
幸いにも、擁壁に隣接する車庫の間に、
大きめの座布団ほどのスペースがあるので、苗の植え場所は確保できる。
肝心の枝の誘引だが、イギリスの園芸誌で紹介していたように、
船舶用の丈夫なワイヤーを張れば、葡萄模様の緑のタピストリーも夢ではない。
その上嬉しいことに、
葡萄栽培は、一般的には乾燥気味の水はけのよい土地が適しているが、
このような石垣は熱しやすいため、
葉の育つ範囲が乾燥して栽培環境を良くするのだそうだ。
というわけで、「甲斐路}という紅色で大粒の品種を植えたところ、ぐんぐんと育ち、
ウイリアム・モリスのあの図案を思わせる、緑の壁面となった。

今年は当たり年のようだ。
初夏に、淡黄色のビ-ズを集めたような花が咲き、
日を追うごとに緑の粒々が大きくなっていく。
梅雨の間は、葉蔭から可愛い緑のネックレースが顔をのぞかせていたが、
8月の声を聞くと一粒一粒が張りを増し、表皮が透明感を帯びてきた。
これから成熟期にかけて淡い紅色が差し、甘みが出てくるサインだ。
その数は、ざっと数えただけでも100房は以上はありそう・・・・。
房といえば、我が家の葡萄は房が長いものが多い。
ブドウ作りのポイントは、、
早期に摘蕾、摘果をして、バランスよく実をつけることだそうだが、
よほどの貧乏性なのだろう、
私はせっかく咲いた花を摘み取ってしまうのがもったいなくて、摘果ができない。
そのためべローンと長い房になるのだ。

時々思い出し笑いをすることがある。
鳥や害虫から保護するために、袋を掛けることにした。
何でも揃う AMAZON に一番大きなサイズの袋を注文したが、
房が長すぎて入りきらない。
それなら手作りで、ということになった。
「どうせ作るのなら、おしゃれな袋にしたい」と、わざわざ駅まで英字新聞を買いに行き、
葡萄の大きさに合わせて作った袋は、
大きな頭陀袋と言おうか、ごみ袋と言おうか、おしゃれとはほど遠いものだった。
それでもめげずにいそいそと取り付けたのに、3日後の激しい嵐で、
紙袋は吹き飛ばされるやら、水が溜まったり、紙が溶けてしまったりで、ショック!!!

あれ以来袋を掛けないできたが、
むき出しのままでは、道行く人の好奇心と食欲を刺激するらしい。
次第に、道を歩きながらつまみ食いをする常連を見ることが多くなった。
その気持ちはよくわかる。
私だって道端の手の届くところに甘い果実があったら、おそらく同じことをするだろう。
だから、無作法をとがめるのではなく、
楽しみをシェアするという寛大な気持ちになって、大目に見ようと、決心したが、
そうとは言えないことがおっこった。
ここのところカラスの親子が堂々と試食会(?)に参加しては、
食べ放題気分でムシャムシャと食べ散らかしているのだ。
これには、正直のところカチンときた。
自慢の長い房のブドウも狙われたら最後、ご覧のとおりだ。

きらきら光るCDや、プラスチック製の見せしめ用の死骸を、
いくつもぶら下げれば効果的だとか、
バードキラーという磁気を利用した高額な器具を使えばバッチリだ、などと、
知恵を授けてくれる友人がいる。
しかし、父ガラスが見張りをする中で、親よりも大きく育った子ガラスが、
甘えながら母ガラスから口移しに葡萄を食べさせてもらっているシーンを眺めていると、
意地悪をしては申し訳ないという気持ちになってくる。
カラスのファミリーは、この葡萄が広田さんのものだということを知らないのだから仕方がない。
きっと全部自分のためにあるのだと思っているのだろう。
もうすぐ色づいて食べごろになるまで、どのくらい残っているやら・・・・・。
せめて、葡萄が見つからないように葉っぱで隠しておこう。
