今、私の庭は

今朝、蝉の初鳴きを聞いた。
例年ならジージーとやかましい鳴き声のアブラゼミの方が早いのに、
どうしたわけか、
今年はミンミンゼミの方がいきなり鳴き出したのには、驚いてしまった。
早いもので、帰国してからもう1カ月になる。
旅行中は横浜の私の庭が心配でたまらなかったが、
梅雨時のため適当に降ったり止んだりしたのが、よかったのかもしれない。
それほどひどいダメージが無くてほっとしている。
ハーブや草花もシーズン最後の花を咲かせ、
夏の花壇の若手たちににステージを譲ろうとしているのだろう。
その証拠に、次に咲くはずのつぼみはほとんど見当たらない。

久しぶりに青空を見た朝、カラッとして気持ちがいい。
私は名残の花を1本ずつ丁寧に切り取り、
青い水差しに活けてみた。
「さぁ、それでは全員集合!!
2012年・初夏の(ちょっと遅すぎたかな?)記念写真を撮りますよ!」
大きく育ったネグンドカエデの“フラミンゴ”をバックに水差しを置くと、
花たちがお互いを引き立てあって、カラフルなアレンジとなった。

四方見に活けたので、花器を回してみよう。
ハニーサックル、アガパンサス、ヤグルマギク、スイートピー、ヴィオラ、バラ、
ユーパトリューム、ワスレナグサ、サルビアの仲間・・・
どこにでもあるような草花だが、ちょっとばかり違うのだ。
例えば、この中に3種類のスイートピーが入っている。
いずれもクラシックな品種だが、私が毎年のように種子をまいているのは、
紅紫と青紫のバイカラーの花が咲く〝キュパーニ”だ。
花の色の優雅なこと、甘さの中に気品のある香りを備えている点が魅力だが、
その出自もロマンに満ちている。
1652年、
イタリアのシチリア島で、雑草とは違うひじょうに美しい蝶々のような花が発見された。
1695年、この花はフランシスクス・キュパーニ司教によって記載され、
今日まで花を愛する人々の花壇を薫り高い花で飾っているという。
育てて眺めるのも面白いが、花の履歴書をひも解くのも私の楽しみの一つだ。

「あら、まぁ、ユリ組さんは、まだですよ。
ヤマユリさんやカノコユリさんたちと一緒に、この次に撮影しますからね。
もうちょっと待っててくださーい」
英国・癒しの旅③ 禁断の花
6月末にイギリスを訪れると、
日本では見ることが出来ない Opium poppy が、ちょうど花の盛りだ。

これはいわゆるアヘンゲシで、
代表種のPapaver somniferum(パパベル・ソムニフェルム)と、
Papaver setigerum(パパベル・セテゲルム・写真上)が知られている。
どちらも上等なうす絹を細かく折り畳んだような花弁が、ひじょうに美しく、魅力的だ。
花の色は白が多く、くすんだ紫、ばら色、深紅色などの一重と八重咲きがあり、
花芯に暗紫色のブロッチが入る。
このケシの若い果実に傷をつけて乳液を採取し、精製したのが麻薬のアヘンとヘロインで、
治療薬のモルヒネも同じ種類のケシから採るのだそうだ。

気をつけて見ていると、ロンドン市内の公園の植え込みや民家の花壇などでふつうに栽培されており、
郊外に残るサッチという茅葺のコテイジの前庭に、紅紫の八重咲きなどが咲いていたりすると、
まるでヴィクトリア時代の絵のようによく似合う。
イギリスでは、麻薬の取り締まりの対象にはなっているものの、
栽培を禁止する法律はないようで、誰でも花屋やガ-デンセンターなどでタネを買うことができる。
また、海外旅行の際に麻薬の取り締まりにルーズなスペインやポルトガルなどから
持ち帰る人もいるだろう。
なにしろ公立の植物園で、野放し状態で植えてあるのだから、心配してしまう。
ところが、日本ではこの種の栽培が発覚したら、即、パトカーが駆けつけて「御用」となる。
翌日のテレビや新聞には、でかでかと写真入りで報道されることだろう。

アヘンゲシが中国経由で日本へ伝わったのは、
桃山時代から江戸時代にかけての頃だった。
興味深いことに、当時は青森で主に栽培されていたために、
「津軽」といえば、隠語でアヘンのことだったという。
その後国内で栽培を続け、和歌山と大阪が生産地として知られるようになった。
また、第一次世界大戦中は、医薬品国産奨励の一環として栽培が盛んになり、
第2次世界大戦後まで栽培が許可されていたというから、驚きである。
1954年に「アヘン法」が制定され、翌1955年から栽培が再開されたというが、
さて、この禁断の花はどこで誰が植えているものやら。
1か所だけ知っているのは、東京都小平にある東京都の薬草園で、一般に公開している。
悪者から盗まれないように、ダブルの金網の中に植えられたアヘンゲシは、
6月末に果実がある程度成熟したところで、収穫を行う。
リヤカーを引いて、切り取った果実と、台帳につけた開花の数が合うかどうか、
チェックしながらの作業である。
ところで、このアヘンゲシはイギリスの空き地や野原、ハイウエイの土手など、
場所を選ばずに育っていた。
それゆえ、輸入品のワイルドフラワーミックスの、
タネの中に混ざっているかもしれないので、要注意!!!
蒔いた種が発芽したら、細かく観察し、キャベツのように白っぽい色の葉が出たら、
まずはかなり怪しいと思われるその葉だけでも抜いて捨てよう。
★ 詳しくは下記のHPを
www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kenkou/.../index.html
日本では見ることが出来ない Opium poppy が、ちょうど花の盛りだ。

これはいわゆるアヘンゲシで、
代表種のPapaver somniferum(パパベル・ソムニフェルム)と、
Papaver setigerum(パパベル・セテゲルム・写真上)が知られている。
どちらも上等なうす絹を細かく折り畳んだような花弁が、ひじょうに美しく、魅力的だ。
花の色は白が多く、くすんだ紫、ばら色、深紅色などの一重と八重咲きがあり、
花芯に暗紫色のブロッチが入る。
このケシの若い果実に傷をつけて乳液を採取し、精製したのが麻薬のアヘンとヘロインで、
治療薬のモルヒネも同じ種類のケシから採るのだそうだ。

気をつけて見ていると、ロンドン市内の公園の植え込みや民家の花壇などでふつうに栽培されており、
郊外に残るサッチという茅葺のコテイジの前庭に、紅紫の八重咲きなどが咲いていたりすると、
まるでヴィクトリア時代の絵のようによく似合う。
イギリスでは、麻薬の取り締まりの対象にはなっているものの、
栽培を禁止する法律はないようで、誰でも花屋やガ-デンセンターなどでタネを買うことができる。
また、海外旅行の際に麻薬の取り締まりにルーズなスペインやポルトガルなどから
持ち帰る人もいるだろう。
なにしろ公立の植物園で、野放し状態で植えてあるのだから、心配してしまう。
ところが、日本ではこの種の栽培が発覚したら、即、パトカーが駆けつけて「御用」となる。
翌日のテレビや新聞には、でかでかと写真入りで報道されることだろう。

アヘンゲシが中国経由で日本へ伝わったのは、
桃山時代から江戸時代にかけての頃だった。
興味深いことに、当時は青森で主に栽培されていたために、
「津軽」といえば、隠語でアヘンのことだったという。
その後国内で栽培を続け、和歌山と大阪が生産地として知られるようになった。
また、第一次世界大戦中は、医薬品国産奨励の一環として栽培が盛んになり、
第2次世界大戦後まで栽培が許可されていたというから、驚きである。
1954年に「アヘン法」が制定され、翌1955年から栽培が再開されたというが、
さて、この禁断の花はどこで誰が植えているものやら。
1か所だけ知っているのは、東京都小平にある東京都の薬草園で、一般に公開している。
悪者から盗まれないように、ダブルの金網の中に植えられたアヘンゲシは、
6月末に果実がある程度成熟したところで、収穫を行う。
リヤカーを引いて、切り取った果実と、台帳につけた開花の数が合うかどうか、
チェックしながらの作業である。
ところで、このアヘンゲシはイギリスの空き地や野原、ハイウエイの土手など、
場所を選ばずに育っていた。
それゆえ、輸入品のワイルドフラワーミックスの、
タネの中に混ざっているかもしれないので、要注意!!!
蒔いた種が発芽したら、細かく観察し、キャベツのように白っぽい色の葉が出たら、
まずはかなり怪しいと思われるその葉だけでも抜いて捨てよう。
★ 詳しくは下記のHPを
www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kenkou/.../index.html
英国・癒しの旅② 秘密の花園
ブラックバードの歌うソプラノで目が覚めた。
[あ、ここはイギリスなのね」
ベッドサイドの時計は、5時を指している。
昨日から宿泊しているこのマナーハウスは、
ナチュラルテイストの庭を目指して、修復に全力を挙げていることが高く評価されている。
古い木製のドアを押して庭へ出たら、花の香りを含んだ空気が沈んでおり、
太陽が昇るにつれて、夜露に濡れた花の色は刻一刻と変化してゆく。
さぁ、庭を散策してみよう。

紗をかけたような朝もやの中に、
うっすらと浮かび上がるオックスアイ・ディジーの群落

金髪に似たグラスは、フォックステイル・バーリィ。
優しくうなづきながら、そよ風の通り道を示している


丈高いゴ-ルデン・オーツの背後から射し入る黄金色の光線。
靄がきれるにつれてコーンフラワーの青が冴えていく

太陽神アポロンのキスを受けて、頬を染めたフォックスグローブ

丘の斜面を含む広大な敷地には、大小合わせて12のテーマガーデンが点在している。
緑のフレームの中に見えるのが、4分割した芝生を取り巻くフラワーガーデン

「イングリッシュ フラーワーガーデンの父」とよばれるウイリアム・ロビンソンが、
このヨーク石を用いた館に住んでいたのは、約100年前のこと。
イギリスに自生する植物を自然な感じに植えた庭を提唱した園芸家であり、
作庭師、植物学者であった彼が、
ここで名著「ザ・ワイルド・ガーデン」を執筆したのだろうか。

深い森の中から忽然と現れるマナーハウス。
エントランスに咲いていた薔薇は、華やかなモダンローズではなく、素朴な薔薇だった。
このチョイスは流石で、エイジングした建物とよくマッチしていた。

暖炉のあるクラシックな居間には、
スモーキーな匂いが浸み込んでいて、なぜか郷愁をおぼえた。
庭から摘んだ花を飾った肖像画の婦人は、どなただろうか。

室内や食卓はもちろん、館内のさまざまなコーナーに庭の花が飾ってあるのが嬉しい。
女性のスタッフが楽しげに花を切っていた。

この館のたどった道は険しかったと思う。
第2次世界大戦後はっ荒廃の一途をたどったようだが、
マナーホテルとして開業するまでには、さぞかし紆余曲折があったことだろう。
オーナーはさる有名な庭園のへッドガーデナーを務めた人に修復と管理を依頼し、
庭が成熟するのを待って、オープンしたという。
自然風にというテーマだから、一見無造作のように植えてあのに、
風景の中からどこを切り取っても絵になるのがすごい。
フィバフュー、ルピナス、ポピー

デザイン論を述べるよりも、まず植物の個体がキチンと育っていなくてはならぬ、
というのがヘッドガーデナーのモットーではないだろうか。
どの植物も伸び伸びと育っており、
目立たないように、個々のメンテナンスがされているのには感動をおぼえた。
いきいきと育っているニゲラ(クロタネソウ)。
乾燥した黒いタネを手でこすると、かすかながらも上品な芳香が漂う。

ラテン語で天使の意味を持つアンジェエリカ。
まるでこの館の守護神のように、背丈を越すほど大きく育っていた。

コロンバイン(オダマキ)
花の形が昔の糸巻きに似ているので、この名がついた。
園芸種では色も形もバラエティーに富み、丈夫なので花壇ではよく見かける。
交配しやすいので注意を、と参考書にはあるが、
私には交配の結果を見るのが何より楽しい。

イギリス人が好きなルピナス。
ニュ-ジランドの街道沿いに、それはそれは美しいルピナスが咲いていた事を思い出す。
入植したイギリス出身の人たちが植えたのか、エスケープしたものか、何キロも続いていた。
毒性があるので、羊や山羊たちは本能的に食べないという。
北海道でも同じ様な話を聞いたことがある。

バイパース・ビュグロス(?)
ワスレナグサやボリジが属するムラサキ科には、好みの植物が多い。
花も葉もちくちくする葉や茎の細いとげも、バイパース・ビュグロスそっくりなのに、
どこか違うようなのは花の色かもしれない。
この植物はアジサイと同じように、土のPHによって色が変わるからだ。
でも、そんなことはどうでもよろしい。
花は好きなように咲いているのだから。

あぁ、なつかしい。このピエロポピーは母が大好きな花だった。
「フランスではコクリコというのよ」といいながら、
1日ですぐに散ってしまうこの花をガラスの水差しに活けていた。
ピエロというのは黒いブロッチが、道化師の服の水玉模様に似ているからだろう。

エキウムにポピー、シャスターディジー、フォックスグローブ・・・・
すべての植物がよく調和し、夢のような色どりにしばし声も出ない。
おそらく、ウイリアム・ロビンソンは、
このようなシーンが集まった庭を作りたかったのではないだろうか。
私が勝手に解釈して勝手に感動しているので、ピントが外れているかもしれないが、
これはまだ庭の一部分なのだ。
現在はヘッドガーデナーの下に7人のガーデナーが働き、
その中の一人はヤングレディだとか。
もしも私が若かったら、食事だけでいいからここで働かせてほしい。
あれっ! 気がついたら杖をつきながらも、ずいぶん歩いているではないか。
車椅子では砂利道や石組みの階段とか、芝生には入れないからだ。
馬の鼻先にニンジンをぶら下げて歩かせるように、
私には花をぶら下げるのが一番よく効く「歩かせ薬」かではないだろうか。
とにかく、今までで一番歩いたような気がする。
それにやる気が湧いてきたことも確かだ。
この庭は誰にも教えたくない、
私の大切な秘密の花園だから。
[あ、ここはイギリスなのね」
ベッドサイドの時計は、5時を指している。
昨日から宿泊しているこのマナーハウスは、
ナチュラルテイストの庭を目指して、修復に全力を挙げていることが高く評価されている。
古い木製のドアを押して庭へ出たら、花の香りを含んだ空気が沈んでおり、
太陽が昇るにつれて、夜露に濡れた花の色は刻一刻と変化してゆく。
さぁ、庭を散策してみよう。

紗をかけたような朝もやの中に、
うっすらと浮かび上がるオックスアイ・ディジーの群落

金髪に似たグラスは、フォックステイル・バーリィ。
優しくうなづきながら、そよ風の通り道を示している


丈高いゴ-ルデン・オーツの背後から射し入る黄金色の光線。
靄がきれるにつれてコーンフラワーの青が冴えていく

太陽神アポロンのキスを受けて、頬を染めたフォックスグローブ

丘の斜面を含む広大な敷地には、大小合わせて12のテーマガーデンが点在している。
緑のフレームの中に見えるのが、4分割した芝生を取り巻くフラワーガーデン

「イングリッシュ フラーワーガーデンの父」とよばれるウイリアム・ロビンソンが、
このヨーク石を用いた館に住んでいたのは、約100年前のこと。
イギリスに自生する植物を自然な感じに植えた庭を提唱した園芸家であり、
作庭師、植物学者であった彼が、
ここで名著「ザ・ワイルド・ガーデン」を執筆したのだろうか。

深い森の中から忽然と現れるマナーハウス。
エントランスに咲いていた薔薇は、華やかなモダンローズではなく、素朴な薔薇だった。
このチョイスは流石で、エイジングした建物とよくマッチしていた。

暖炉のあるクラシックな居間には、
スモーキーな匂いが浸み込んでいて、なぜか郷愁をおぼえた。
庭から摘んだ花を飾った肖像画の婦人は、どなただろうか。

室内や食卓はもちろん、館内のさまざまなコーナーに庭の花が飾ってあるのが嬉しい。
女性のスタッフが楽しげに花を切っていた。

この館のたどった道は険しかったと思う。
第2次世界大戦後はっ荒廃の一途をたどったようだが、
マナーホテルとして開業するまでには、さぞかし紆余曲折があったことだろう。
オーナーはさる有名な庭園のへッドガーデナーを務めた人に修復と管理を依頼し、
庭が成熟するのを待って、オープンしたという。
自然風にというテーマだから、一見無造作のように植えてあのに、
風景の中からどこを切り取っても絵になるのがすごい。
フィバフュー、ルピナス、ポピー

デザイン論を述べるよりも、まず植物の個体がキチンと育っていなくてはならぬ、
というのがヘッドガーデナーのモットーではないだろうか。
どの植物も伸び伸びと育っており、
目立たないように、個々のメンテナンスがされているのには感動をおぼえた。
いきいきと育っているニゲラ(クロタネソウ)。
乾燥した黒いタネを手でこすると、かすかながらも上品な芳香が漂う。

ラテン語で天使の意味を持つアンジェエリカ。
まるでこの館の守護神のように、背丈を越すほど大きく育っていた。

コロンバイン(オダマキ)
花の形が昔の糸巻きに似ているので、この名がついた。
園芸種では色も形もバラエティーに富み、丈夫なので花壇ではよく見かける。
交配しやすいので注意を、と参考書にはあるが、
私には交配の結果を見るのが何より楽しい。

イギリス人が好きなルピナス。
ニュ-ジランドの街道沿いに、それはそれは美しいルピナスが咲いていた事を思い出す。
入植したイギリス出身の人たちが植えたのか、エスケープしたものか、何キロも続いていた。
毒性があるので、羊や山羊たちは本能的に食べないという。
北海道でも同じ様な話を聞いたことがある。

バイパース・ビュグロス(?)
ワスレナグサやボリジが属するムラサキ科には、好みの植物が多い。
花も葉もちくちくする葉や茎の細いとげも、バイパース・ビュグロスそっくりなのに、
どこか違うようなのは花の色かもしれない。
この植物はアジサイと同じように、土のPHによって色が変わるからだ。
でも、そんなことはどうでもよろしい。
花は好きなように咲いているのだから。

あぁ、なつかしい。このピエロポピーは母が大好きな花だった。
「フランスではコクリコというのよ」といいながら、
1日ですぐに散ってしまうこの花をガラスの水差しに活けていた。
ピエロというのは黒いブロッチが、道化師の服の水玉模様に似ているからだろう。

エキウムにポピー、シャスターディジー、フォックスグローブ・・・・
すべての植物がよく調和し、夢のような色どりにしばし声も出ない。
おそらく、ウイリアム・ロビンソンは、
このようなシーンが集まった庭を作りたかったのではないだろうか。
私が勝手に解釈して勝手に感動しているので、ピントが外れているかもしれないが、
これはまだ庭の一部分なのだ。
現在はヘッドガーデナーの下に7人のガーデナーが働き、
その中の一人はヤングレディだとか。
もしも私が若かったら、食事だけでいいからここで働かせてほしい。
あれっ! 気がついたら杖をつきながらも、ずいぶん歩いているではないか。
車椅子では砂利道や石組みの階段とか、芝生には入れないからだ。
馬の鼻先にニンジンをぶら下げて歩かせるように、
私には花をぶら下げるのが一番よく効く「歩かせ薬」かではないだろうか。
とにかく、今までで一番歩いたような気がする。
それにやる気が湧いてきたことも確かだ。
この庭は誰にも教えたくない、
私の大切な秘密の花園だから。
英国・癒しの旅① 多くの親切を受けながら
私はひどい腰痛で悩んでいた。
杖を頼りになんとか足を運んでも、長くは歩けない。
杖を離すと、悲しいかな、腰が曲がって、オランウータンにそっくりの歩き方きになってしまう。
外出すると人目が気になり、みんながひそひそと噂話をして、
私をあざ笑っているように思えてならない。
「腰痛のこととは別に、これはノイローゼ気味。このままでは鬱になりかねないわよ」と、
もう一人の私が忠告をしてくれる。
たしかに自分で自分を甘やかしている部分があることは、認める。
しかし、歩けなくなっては、これからの人生に何の希望も持てないではないか。
家族のお荷物になって、迷惑をかけるだけだ。
堂々巡りをして悩んでいる私に、夫が声をかけてくれた。
「ちょっと早いが、金婚式のお祝いということにして、イギリスへ行こう。
人目もなにも気にしないで、どこまで頑張れるか試してごらん」
前回にも記したように、このような成り行きで、
車椅子と杖を持参した、癒しの旅。
同じ悩みを持つ人のためにも、こんなことあんなことを思い出しながら綴ってみよう。

6月18日。長男が車で送ってくれ、5時に羽田へ到着。
こんなに早い時間なのに、搭乗手続きを待つ人が意外に多い。
BA(British Airways)のカウンターへ向かうと、
「広田様、お待ちしていました」と女性職員が笑顔で現れ、
つきっきりで登場手続きや荷物の預け入れをしてくれた。
次には、車椅子の介助を専門とする男性職員と代わり、
見事な連係プレイでこまごまとした関所をクリアし、
バスの乗り場まで付き添ってくれた。
リフトに乗るのもバスに乗るのも最優先なので、
慣れていない私は、ほかの人に申し訳ない気持ちになったほどである。
機内でも乗務員から優しくしてもらったが、大げさな親切ぶりでなく、
いつも眼くばりをしてくれているのがスマートだと思った。
12時間でヒースロー空港に到着。
待っていてくれた世話係の職員のおかげで、出国手続きも難なく済み、
レンタカーの連絡バスの乗り場まで付き添ってくれた。
出迎えてくれた友人のフォガティ夫人(オペラ研究家)によると、
イギリスではこのぐらいの親切は、あたりまえのことだという。

ボルボの大型車を借りて、
まずは田園風景が美しいことで定評があるサリー州の、 Longshott manor hotelへ。
深い緑の森の中にあるため、最初は入口が見つからなかったのも道理、
ここは隠れ家のような Boutique hotel(こじんまりとしたおしゃれなホテル)なのだ。

16世紀の荘園領主の館をホテルにしたもので、壁面の煉瓦の使い方や古い塔、
濠などに歴史の流れが感じられる。
16世紀のイギリスといえば、6人の妃と結婚したヘンリー8世の御代だ。
私達の部屋は、女官から王妃となった Jane Seymour の間、
右隣は 最後の王妃となったCatherine Parr の名札が古い扉についていた。
館を取り囲むようにt作られた花壇は、いくつあったろうか。


私が感心したのはブナの木で作りつつある、「淑女のため散歩道」だった。
その昔、身分の高い家に生を受けた令嬢は、色白の美肌が必須条件であったという。
しかしある程度のエクササイズも必要なので、
日傘につばの広い帽子、ハイカラーの上着、肘までの長い手袋といった完全武装で、
このように日影が出来る緑のトンネルを往復しては、散歩を楽しんだそうな。

このホテルには2階もある。
しかし、私が階段の上り下に苦労することを案じて、
1階に部屋を用意していたという。
多くの親切を受けながら、イギリスで癒しの旅はこうして始まった。
杖を頼りになんとか足を運んでも、長くは歩けない。
杖を離すと、悲しいかな、腰が曲がって、オランウータンにそっくりの歩き方きになってしまう。
外出すると人目が気になり、みんながひそひそと噂話をして、
私をあざ笑っているように思えてならない。
「腰痛のこととは別に、これはノイローゼ気味。このままでは鬱になりかねないわよ」と、
もう一人の私が忠告をしてくれる。
たしかに自分で自分を甘やかしている部分があることは、認める。
しかし、歩けなくなっては、これからの人生に何の希望も持てないではないか。
家族のお荷物になって、迷惑をかけるだけだ。
堂々巡りをして悩んでいる私に、夫が声をかけてくれた。
「ちょっと早いが、金婚式のお祝いということにして、イギリスへ行こう。
人目もなにも気にしないで、どこまで頑張れるか試してごらん」
前回にも記したように、このような成り行きで、
車椅子と杖を持参した、癒しの旅。
同じ悩みを持つ人のためにも、こんなことあんなことを思い出しながら綴ってみよう。

6月18日。長男が車で送ってくれ、5時に羽田へ到着。
こんなに早い時間なのに、搭乗手続きを待つ人が意外に多い。
BA(British Airways)のカウンターへ向かうと、
「広田様、お待ちしていました」と女性職員が笑顔で現れ、
つきっきりで登場手続きや荷物の預け入れをしてくれた。
次には、車椅子の介助を専門とする男性職員と代わり、
見事な連係プレイでこまごまとした関所をクリアし、
バスの乗り場まで付き添ってくれた。
リフトに乗るのもバスに乗るのも最優先なので、
慣れていない私は、ほかの人に申し訳ない気持ちになったほどである。
機内でも乗務員から優しくしてもらったが、大げさな親切ぶりでなく、
いつも眼くばりをしてくれているのがスマートだと思った。
12時間でヒースロー空港に到着。
待っていてくれた世話係の職員のおかげで、出国手続きも難なく済み、
レンタカーの連絡バスの乗り場まで付き添ってくれた。
出迎えてくれた友人のフォガティ夫人(オペラ研究家)によると、
イギリスではこのぐらいの親切は、あたりまえのことだという。

ボルボの大型車を借りて、
まずは田園風景が美しいことで定評があるサリー州の、 Longshott manor hotelへ。
深い緑の森の中にあるため、最初は入口が見つからなかったのも道理、
ここは隠れ家のような Boutique hotel(こじんまりとしたおしゃれなホテル)なのだ。

16世紀の荘園領主の館をホテルにしたもので、壁面の煉瓦の使い方や古い塔、
濠などに歴史の流れが感じられる。
16世紀のイギリスといえば、6人の妃と結婚したヘンリー8世の御代だ。
私達の部屋は、女官から王妃となった Jane Seymour の間、
右隣は 最後の王妃となったCatherine Parr の名札が古い扉についていた。
館を取り囲むようにt作られた花壇は、いくつあったろうか。


私が感心したのはブナの木で作りつつある、「淑女のため散歩道」だった。
その昔、身分の高い家に生を受けた令嬢は、色白の美肌が必須条件であったという。
しかしある程度のエクササイズも必要なので、
日傘につばの広い帽子、ハイカラーの上着、肘までの長い手袋といった完全武装で、
このように日影が出来る緑のトンネルを往復しては、散歩を楽しんだそうな。

このホテルには2階もある。
しかし、私が階段の上り下に苦労することを案じて、
1階に部屋を用意していたという。
多くの親切を受けながら、イギリスで癒しの旅はこうして始まった。