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帰りなん。いざ、ふるさとへ ②

私達が一番乗りだと思ったら、

次々に車が到着し、早くも駐車場でにぎやかに挨拶や紹介が始まっている。

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庫裏(くり)の大広間に設けられた控室でお茶をいただくうちに、ほどよく冷えた果物が運ばれてきた。

[福島の桃ですよ。皆さん方の懐かしい味だろうと思って・・・・」

昔から寺の仕事を手伝ってきてくれたSさんの、心がこもったもてなしが嬉しい。


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間もなく本堂に移り、母・京子の13回忌の法要が始まった。


読経とお香は、さまざまな思い出の引き出しを開ける。

母が亡くなった時、私は鹿児島県の枕崎市で、NHKテレビ「趣味の園芸」のリハーサルの最中だった。

本番の公開録画は明日の1時からなので、これからまる1日は身動きが取れない。

覚悟はしていたものの、床についても目が冴えて思い出が駆け巡り、つらいつらい夜だった。

誰にも気づかれないように、本番では作り声と作り笑いで何とか切り抜けたが、

鹿児島から福島までの帰り道が何んと遠かったことだろう。


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大好きなリバティのブラウスに、ミモザの花を手にした母。

教育者として多くの子供たちを導いたたばかりでなく、

母は「野の花や動物たちにも、仏性あり」と説いては、自然をこよなく愛していた。

何事にもめげずにベストを尽くした母の原動力は、底知れぬ知的好奇心だった。


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本堂の格天井に描かれた植物の色彩画。

紫陽花や水仙などの身近な花ばかりではなく、どこか異国風な花もある。

両親が生きていた頃に、この絵の由来についてなぜ聞いておかなかったのだろう。

見上げていると首が痛くなるので、妹たちと仰向けに寝転んで見た幼い日々・・・。

地震で大破しなくて、ほんとうによかった。


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母の位牌に、順番にお焼香をする孫やひ孫。

小さな指でお香をつまみ、真剣そのものの表情でお辞儀をしている。

一人前にお焼香をするのは、初めての経験という子も多いようだ。


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境内にある墓所での供養を終えて、全員が市内のホテルにチェックイン。

夕方6時からレストランで、円通寺ファミリーの懇親パーテイが始まった。


数えてみると、父と母から5人の子供たちが生まれ、

それぞれが配偶者を得て(5名)、孫が13名できた。

そして孫の配偶者12名との間に、ひ孫が7名生まれている。


弟から全員集合の号令がかかったのは、寒い季節だった。

お楽しみはまだまだ先のことだと思っていたのに、あっというまにその日が来てしまった。

緑色に染まったふるさとに集い、まだ会っていなかったファミリーと親しく過ごそうという趣旨だ。

簡単な自己紹介から始まり、すぐに笑いの渦となったテーブルができた。

子供たちは、誰と話してもよいというお達しを受けているから、

硬くなっていじいじしている者などは一人もいない。

学校の話よりは、ゲームや流行のアイドル(古い?)などの話に花が咲いているようだ。

すっかり打ち解けて、各テーブルを泳ぎ回っている子もいる。


明日は福島からスカイラインを通り、一切経、浄土平、吾妻小富士とめぐって猫魔ホテルに宿泊の予定だ。

こうした形でふるさとをみんなで訪れ、親交を深めることができたことは、

何んとありがたいことだろう。


それにしても、陶淵明の「帰去来の辞」にあるように、

福島は今「田園まさに荒れなんとす」状態に入っている。

風評被害に悩まされ、刻一刻と変わる状況にふるさとを追われる人が増えている。

今回の楽しい企画は弟が全部お膳立てをしてくれたのだが、

もしかして、来年はどうなっているか分からないからではないだろうか。


せっかくの思い出に水を差して悪かったが、

最も楽しい夏の日をふるさとで過ごすことができた。

そして何よりも、ファミリーの絆を深められたことに感謝している。



帰りなん、いざ、ふるさとへ

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朝の5時半、迎えに来た三男夫婦の車に同乗して家を出発したのは、8月15日のことだった。

目指すは福島市の円通寺だ。

ここは私の生家で、12代目の弟が住職としてあとを継いでいる。

お盆の最中だから道路の混雑や渋滞を予想して、早目に家を出たのだが、

平日よりも道路状態はよく、面白いようにすいすいと車は進む。



今回の帰省は単なるお盆の里帰りとは、ちょっと違う意味合いがあった。

今年は母の13回忌に当たる。

ご法事などには大人が出席するのが普通だが、

弟の発案で、私達5人姉弟の家族が全員集合し、泊りがけで親睦を深めようという趣向なのだ。


私が小さかった頃、親戚はそれほど遠くない場所に住んでいた。、

母や祖母の実家、新宅、叔父や叔母の家などへ

初物( あぁ、何と懐かしい言葉だろう。

今は一年中何でも手に入るので、旬が失われていることに改めて、気づいた)や、

おすそ分けなどを届けに行くのは、子供たちの仕事だった。

期待通り、お駄賃にもらった飴玉の甘かったこと・・・・。あの味は、今でもよく覚えている。



こうして親戚の従兄弟たちと仲良くなるにつれ、誰に聞かなくとも家族構成などがしだいにわかってくる。

土曜日は叔母の家で夕ご飯をごちそうになり、従姉の布団にもぐりこんだ「お泊まり」もなつかしい。

今、親戚が一堂に会するのはお葬式か結婚式だ。

いずれも出席者は大人だけで、特別の事情がない限り、子供が列席することはまずない。

大人の場合でも、悲しみの場所だけに控室で声を落としたひそひそ話・・・。

セレモニーが済むとそそくさと帰途に就く人が多いので、

「あの人はだあれ」ということもあると聞いている。


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さぁ、着いた。

ここが18歳まで過ごした円通寺だ。

本堂の左手に紅いものが見えるのは、2体のお地蔵さま。

色も鮮やかなのは、3月の大地震で台座から落ちて倒れてしまったため、

修理をしている間に、檀家の方が新しい頭巾を作ってくれたのだとか。


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継ぎ目も痛々しい御地蔵さまを慰める、かわいい御供え物。

母が創設し、弟夫婦が後を継いだルンビニー幼稚園は、たしか60年を越している。

背伸びしてホウズキと栗のイガをお供えしたのは,

「のの様]こと、仏さまへ手を合わせに来た園児かもしれない。

                            続く

ニゲーラ

12日に記した[アメーラ]とのトマトつながりで、

今は亡き園芸家の柳宗民先生からいただいた、小さな小さなトマトを思い出した。

このトマトもちょうど今が旬で、10号のスリット鉢で元気よく育っている。


10年ほど前になるだろうか。

NHKのスタジオで、それぞれに本番や打ち合わせなどがあった。

一段落したときに、柳先生が目配せをなさっているのに気がついた。

「あら、なにか間違ったことをいってしまったかな?」

先生のところへ近寄ると、先生は生真面目な顔つきで、

「広田さん、あなたは今トマトに夢中のようだから、いいものをあげましょう」


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ポケットから取り出したのは、ビニールの小袋にに入った細かいタネだった。

[まぁ、ありがとうございます。これはどのようなタネでしょうか」

「これはね、大昔からアンデス山中に自生してたと言われているトマトで、

おそらく原種の一つだと思いますよ」

[まぁ、嬉しい。大事に育てますね」

あの時頂戴したトマトのタネは意外にと言おうか、やはりと言おうか、

丈夫で伸び伸びと育ち、毎年宝石のような実をつける。

写真の[アメーラ]は、大が私の小指の第一関節ぐらいで、小は小指の先端大だ。

一方、柳トマトは直径が1cmもあるのはまれに見る大きな方で、5~3mmがアヴェレージ。

まるでビーズのような紅い実もある。

ひと粒つまんで口に入れてみるとえぐいというのだろうか、苦みが残る。

さて、静岡弁では「苦いでしょう?」を、なんというのだろう。

きっと、「ニゲーラ」じゃないかな。

この駄洒落を聞いたら、柳先生はどんなリアクションをされただろうか。

きっと目を細めて静かに笑っておられるような気がしてならない。

アメーラの謎

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「かなり捜したのだけれど、やっぱり築地にもなかったわ。

ちょうどイタリアンのシェフが仕入れに来ていたので、

イタリアのトマトの ”アメーラ”はどこで買えますか、って聞いてみたら、

シリマセーンですって」

これは5~6年前の話である。

デザイナーのA子さんは、何事も新しいものを知らないと気が済まない性分だ。

自称グルメの彼女は、パーティーでつまんだトマトがあまりにも美味だったので、

「アメーラ」というイタリア語を頼りに、築地の青果市場まで捜しに出かけたのだった。

 * これがアメーラの人気商品「アメーラルビンズ」。

アーモンドの菓子の「ドラジェ」に似た形で、一回り大きい。


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[アメーラ」には、確かにイタリア語の響きがある。

けれども、日本語の「甘い」を連想させる二文字は、ちょっとできすぎではないだろうか。


疑問は間もなく解けた。

久しぶりに会った清水生まれのれのクラスメイトが、

これまで食べたことのない甘ーいトマトを、お土産に持ってきてくれたのだ。

「もしかして、これってアメーラ?」

「そうよ、さすがねぇ」

アメーラは何んと静岡弁で、[甘いでしょう?」という意味なのだそうだ。

これが5,6年前の話。

意表を突かれた形の[アメーラ]だが、これ以上親しみやすくわかりやすいネーミングがあっただろうか。

要は、アメーラは糖度が高い高級なトマトの総称になっており、それぞれ個性的なトマトが栽培されている。

会社も静岡県のほかに高知や長野にも系列の立派なファームができ、文字通り生長株だ。

願わくは、どうかもう少し安い値段で買えますように・・・。

黄金虫に想う

夕食を始めてすぐに、

庭に面した網戸がある窓のあたりで、がさがさと音がした。

「飛んで火に入る夏の虫」とはよくいったもので、

夏場はさまざまな虫が灯りにつられて集まってくる。

ここへ越してきた20数年前は、カブトムシやクワガタなどの「大物」も飛び込んできて、

息子たちを喜ばせた。

音のする方へ眼をやると、黒っぽい小さな虫がうごめいている。

逃げる気配も見せないので、指でつまむと小さな黄金虫だった。


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よく見ると黒ではない。

何んという表現があるのかしらないが、つやつやとした深い緑色で、

このまま襟元に止めれば、おしゃれなアクセサリーのヒントになりそうだ。



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指に載せてみた。

庭仕事でしみだらけの指が、心なしかエレガントに見えなくもない。

ただし、細い鋸のような足が見えるのはみょうにリアルすぎる。

食後に梨を剥いたら、いかにも美味しそうにジュースを吸っている。

そうだ、甘い果汁が好きだった・・・・。


♪  黄金虫は金持ちだ、金蔵たてた、家建てた。

  子どもに水あめ 買ってきた

思わず、口ずさんでいた幼い頃に覚えた歌・・・

今の子供たちは、おそらく知らないだろう。

なぜなら、私たちが歌ってやらなかったからだ。

手遅れかも知らないが、小学5年生と中学2年生の孫たちにいつか歌ってあげよう。


二人は今夜の飛行機で、アメリカへ夏休み旅行に出かける。


HAVE A WONDERFUL SUMMER VACATION!!!

再び,MONMO

幼い頃に経験した味を、ノスタルジックテイストという。

この味覚は脳の中に刻み込まれて、一生忘れないのだそうだ。

美味なる記憶は数多くあるが、桃への愛着は人一倍強いように思えてならない。

これは小学生時代に夏休みになると手伝いに行った祖母の家の果樹園で、

より取り見取り食べ放題という状況で、学習し獲得したモンモの味といえよう。

キイワードは 「採りたて、完熟、硬い果肉、高い糖度、福島産モンモ」だ。

もう戻れない幼い日の思い出の中で、モンモは別格で輝いている。


これほどまでに、一度味わったら人の心を掴んで離さない福島産のモモが、今ピンチに陥っている。

3・11の原発事故の風評被害によって、

丹精込めて育て上げたモモをモニタリング済みで出荷しても、売れ行きが悪いのだ。、

美味しいモンモをぜひとも食べてもらいたい一心で,手入れをしてきた農家の方たちは、

がっかりしたと同時に、怒りをどこへぶつけてよいものやら、わからないでいる。

いくら福島人が我慢強く礼儀を重んじると言っても、堪忍袋の緒が切れないはずはない。


何も悪いことをしたわけでもないのに、どうしてこれほどまでの仕打ちを受けなければならないのだろう。

モモばかりではない。

ミルクや牛肉、野菜類が出荷停止で、これから出回る美味しいリンゴも米もどうなるかわからない。

自分の過ちなら諦めもつくというものだが、東京電力と政府の隠ぺい工作によって、仕組まれた何かのために

多くの生産者たちの日常どころか、明日のことがわからなくなっている。


皮肉なことに安全な食物としてスーパーに並んでいるものは、メキシコのカボチャやブドウ、ニュージランドの玉

ねぎ、オマーンのインゲン、中国のシイタケにショウガ、ニンニク、カナダやアメリカ、オーストラリアなどの

肉、魚の場合は世界中から入ってきている。

思いつくままにざっと挙げただけでも、外国産の生鮮食品がこんなにあるのを政治家たちは知っているのだろうか。

それよりも心配なのは、こうした輸入品は本当に安全なのか、厳しくチェックをしてほしい。


これは程度の低い問題ばかり引き起こしている農水省の天下り役人でなく、

利害関係のない第三者的な立場の賢人にぜひお願いしたい。

政治家は国民の暮らしを守りより良くするために働く公僕であるはずなのに、派閥や選挙などのことばかり優先

し、足の引っ張り合いで、まことに見苦しい。恥も外聞もないとは、このことをいうのだろう。


福島のモモから、日ごろ思っていることをぶちまけた。

これは序の口でまだまだ言いたいことが山ほどある。

しかし、今日はこのくらいにしておこう。


今、私は福島のモンモの到着を待っている。

農家の人を元気づけるには、生産物を買うことが一番の支援だと思うからだ。

私がJA新福島へ申し込んだのは、モニタリング済みの「ミスピーチ」だ。

通常価格は一箱3000円のモモを二箱だから6000円の値段なのに、
大サービスで3500円。

しかも送料は無料だと書いてある。

一瞬「ほんとうかしら、だまされるのでは?」と疑ったが、楽天の系列でJAの団体だし、

何よりも福島県人だから大丈夫。信じることにした。

そういえば、このハイカラな名前になる前の品種名はアカツキだった。

モモとしては晩生で、美しい桃色の果肉がきりっと締まり、ジューシーで甘さ抜群のモモだ。

頑張れ福島!の掛け声は、各地から聞こえてくるようになった。

一度味わってみるにはいい機会なので、ぜひおすすめしたい。



* 肝心のモモがまだ届いていないので、写真を載せられないが、

着いたらすぐにアップするつもりだ。


* http://item.rakuten.co.jp/sanchokudayori/c/0000000214/


* 検索のキイワード

  楽天市場  産地直送フルーツ>福島県産 桃「ミスピーチ」品種あかつき・秀品以上


MONMO

MONMOが旬の季節になった。

「もんも」と声に出してみると、なぜか涙がにじんできた。


私の生まれた福島市では、モモをモンモという。

標準語になってしまった今の若い人たちに、通じるかどうかわからないが、

少なくても末の弟妹が生まれた、いわゆる団塊の世代(昭和22年)まではモンモだった。

赤ちゃんのほっぺのようなまるい果実に触れると、チクチクとした産毛でかゆくなり、

何度も何度も手を洗ったたことが懐かしい。

今でもモモを見ると頭の中の自動翻訳機が作動して、

頼みもしないのに変換し「モンモ」が口から出てくるから不思議だ。


私の生まれた福島はくだもの王国で、モモ、ナシ、リンゴにブドウ、カキなど、

カンキツ類を除いた果物の生産地だ。

特にモモは全国第2位を誇る生産量で、味も香りも抜きん出ている。

祖母の生家が伊達市で果樹園を経営していたので、

夏休みになると必ず「お手伝い」と称して、1週間か10日ぐらい泊っては手伝ったことがなつかしい。

仕事はいくらでもあった。

作業所の大きい倉は涼しくて、ここでは収穫してきたモモの袋をはがし、選別、箱詰めなどをした。

あの頃の箱は木製で、木を細く切ったモクゲをショック吸収材に使っていた。

いい風が抜ける軒下は、木箱に品種の名前入れをする場所だ。

木肌に文字や絵柄の部分を切り抜いた金属板をのせて、上から墨を含ませたバレンを往復させる。

今流行りのステンシルと手法は全く同じだ。

失敗したらカンナをかけなければなら内ので、緊張したものだった。


モモと言えば、ほとんどの方が柔らかい果肉に、

果汁が滴り落ちるジューシー・タイプを好む。

そして、指でつるりと皮がむけるのも必須条件だ。

                          つづく

生きている46年前のクチナシ

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人間に寿命があるように、植物の命にも限りがある。

このつやつやした照り葉の苗は、クチナシだ。
梅雨の頃にさわやかな、それでいてどこか官能的な香りを漂わせる白い花が咲く。
ちょうど6月に開花するので、ジューンブライドの花束によく使われ、
花嫁をさらに引き立てる健気な花でもある。

ところで、クチナシの寿命は何年ぐらいなのだろう。

というのは、この苗の親株は私たちが1965年に植えているので、数えてみると46年目になる。
それなのに、花が咲いたところを、まだ見たことがない。

「なぜ?」
「どうして?」
と思われることだろう。

それには、こんないきさつがあるのだ。

私が結婚したのは、東京オリンピックの翌年にあたる1965年5月だった。
同年7月には、広田家のご先祖様への報告のために須賀川を訪れている。
菩提寺に御挨拶をした後、近くの墓地へ行き、お墓参りを済ませた。
その時、記念に植えたのが、2本のクチナシの苗だった。
大きな墓地の奥にある広田家の区画は杉木立の下で、
明るい半日蔭を好むクチナシにぴったりの場所だ。
ここなら大丈夫と安心し、ていねいに植え付けたことを覚えている。

須賀川は東北本線の郡山の手前にある。
私の実家はその先の福島市なので、
国道4号線を車で帰る時も、列車で帰る時も、よくお墓参りをしたものだった。

ところが、花の季節に会えることがなく、「そのうちに」と思いながら40数年がたってしまった。

5年目ごろから、気がついたことがある。
お盆で帰省した際に墓参りに行くと、クチナシの樹がバッサリと切られていた。
よく見ると鋭利な刃物でスパッと切ってあり、枝の詰め方もプロの仕業だ。

いくらクチナシの花が好きだとはいえ、
素人が2本分の花を自宅に飾ったら、あまりの香りの強さに頭痛を起こすか、眠れないにちがいない。
おそらくプロの花屋が目を付けたのだろう。

こんなことが続くうちに、いつの間にか私はまだ見ぬ「誰かさんによる剪定」に、感謝するようになっていた。
元気な植物でも植えっぱなしで放置しておいたら、寿命は短くなる。
誰かさんによる花の収穫がとりもなおさず「剪定」となったために、まだ生きているのだ。

虫の知らせか、胸さわぎとは、よく言ったものだ。
昨年の秋に墓参りをした時、何かはわからないおかしな気分になった。
痩せた枝だらけのクチナシが、何かを訴えている。
さすがに長生きしすぎたためか、例の「誰かさん」が老齢になって例の剪定ができなくなったのか・・・・。
クチナシの葉にはつやがなく、しょんぼりとしていた。

「長い間ご苦労様」
これが限度なのかもしれないと感じて、挿し木用の枝を切り、我が家へ連れて帰った
須賀川と比べると、こちらの温度がはるかに高いので、元気を取り戻したのだろう。
ほとんど活着し、春の定植を待っていた。

3月11日。
思ってもいなかった東日本大震災によって、須賀川は大ダメージを受けた。
ようやく高速道路が開通したので、
集めておいた水や食料などを、息子たちが福島市の実家へ届けに行ってくれた。
開通したとはいえ、途中のありさまは想像以上のものだったという。

帰り道、長男と三男がお墓のことを案じ、立ち寄ったものの、
墓石が総倒れで思わず息をのむほどの惨憺たる光景だったという。

どこが広田家の墓所かなどさっぱり分からず、
墓石を持ち上げることなどは重機でなくては出来そうもない。
ましてや目印のクチナシなど、まるで見当もつかなかったという。

昨年の秋に、クチナシの枝を切ったのはおそらく「お知らせ」だったのだろう。

自分の運命を知っていたのか、
半年も前から実家へ避難していたクチナシは、来年の初夏に花を開く。

これまでの過去をリセットし、
新しい土地でスターとを切ったこの花は、きっと私よりも長生きするだろう。

* 写真右側の中央に映っている茶色いものは、ガーデンキャットのマリコ。

今度の金曜日は「趣味の園芸」で


一昨日、大急ぎでご紹介した、北欧に切り絵作家を訊ねたテレビ番組は、いかがでしたか。

北欧の夏至祭の頃に、ぜひかの地へ行ってみたいと思っていた私には、
夢のような時間だった。

古代から伝わる自然崇拝の夏至祭と、暮らしの中から生まれたさまざまなアートなどを縦軸に、

人間関係や自然とのふれあいを横軸に織り上げたタピストリーは、あっという間の90分だった。

私と同い年のアグネータさんにはとても親しみをおぼえ、

庭のチャイブを摘んで作ったオードブルが、夜中なのに食慾を刺激して困った。

メモはしていなかったが、思い出しながら大まかな作り方を記しておこう。

主材料の魚を、番組ではアンチョビと紹介していたが、新鮮な鰯のようにもみえた。

それとも、私たちは缶や瓶に入っている保存用の超塩からいイワシを、アンチョビだと思っているだけで、

本場では、単なるイワシの塩漬けがアンチョビなのかも・・・・

作り方

① 刺身用イワシに塩を軽くふり、1時間ほど置く。

② ①の水分を拭き取って小さな乱切りにし、皿の中央に盛る。

③ 紅玉ねぎの粗みじん切りでイワシの周囲を囲み、その外側に鋏で切ったチャイブを振りかける。

④ 中央を少し窪ませ、生卵をのせる。

⑤ 食べるときにかき混ぜて。

思い出しながら書いたので、間違っていたら、ごめんなさい、ビデオをとっておけばよかった。

 今夜にでも一度作ってみよう。


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さて、北欧のテレビ紹介で、自分のテレビ番組の・オンエアーをすっかり忘れてしまった。

1回目は日曜日に終わってしまったので、再放送のお知らせを。

今週の金曜日、7月5日、夜の9時から2チャンネル・「趣味の園芸」の「フルール」に、少しだけ。テーマは[香りの葉」これはアンコールにより、2009年に放映したものの再放送。


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見どころは庭。
リニューアルしてから1年目でこんな感じに育った。
腰痛に悩みながらも自分と、ときどきは妹の手を借りて作った懐かしい庭だ。

今? もっともっと素敵よ・

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